こんにちは。四国支部の池田です。
相馬市を後にして海岸沿いを北へ向い宮城県最南端の山元町に入ると大きな石碑がありました。
周辺では防潮堤の工事や重機による盛土などが行われており、視界を遮る物が無い所に建立されていて
美しい花々が供えられていました。
石碑には、この地には常磐山元自動車学校があり
教習中だった教習生26人と役職員11人の全員が
犠牲となった慰霊の碑であることが刻まれていました。
大地震が起きた3月11日といえば、高校を卒業した
人達が多く自動車学校へ通う時季。
社会に出て働くことや大学に進学が決まっていた
青年達が多かったのではないかと想うと、込み上げて
くるものあり合掌せずにはいられませんでした。
引き続き工事造成中の区域を進んでいると、大きな数本のマツに囲まれ、
きれいな朱色の鳥居が見えたので立寄ってみました。
津波により倒壊した社殿を再建中で鳥居付近に鎮守の森を復活させる
植樹活動が行われた看板が設置されていました。
マツの周辺には複数の樹種が植えられて壁のように繁っており、
順調に大きく育っているようでした。
続いて農地造成中の区域を進んでいると、小高い丘が点在する場所に出たので上がってみると、
津波に備えての避難丘でした。「地震が起きたら津波に備えて、とにかく高い所へ逃げること」-
大惨事から得た、次代に語り継いでいかなければならない教訓であることを実感しました。