2016年10月20日

上野動物園のゾウたちと再会

  • 本部スタッフ
  • dsc_0080
    仲間と心から一緒に喜べるってイイですね

    15年前、「ゾウ担当」と呼ばれていた吉田です。

    上野動物園の2頭のゾウ、アティ・ウタイは「オイスカのタイ東北部スリン県にける
    1980年からの緑化活動に感謝するとともに、愛子さまのご生誕を祝って」(東京都発表要旨)と
    2002年に寄贈されたものであると、先月のブログで紹介しました。

    マスコミ各社が揃って報道した通り、その2頭のペアリングに成功し、
    妊娠が確認され、上野動物園からお誘いいただき、2年ぶりに行ってきました。
    運よく、オイスカタイ駐在代表の春日智実、タイ全体を背負うヤットのご夫妻の
    東京滞在と合わせられ、10月12日に職員ほか11人でドヤドヤと。

    寄贈受入当時、調整担当として通い詰めた上野動物園。
    いまは自他ともに認める「クロマツおたく」。
    あの頃は「タイおたく」「ゾウおたく」。
    私はまずゾウに目が行くというより、東京都動物園協会職員で、
    日本人の「ゾウ使い」のOさんに目が行きました。
    懐かしい。まず彼との再会が嬉しい。
    ゾウチームの皆さん、園長、飼育課長、飼育課の皆さんに
    どれほどお世話になったか。指折り数えて、再会を楽しみにしていました。

    タイ語で過ごしてきた子象は、寄贈された後は日本語を覚えてゆかねばならない。
    ヤットさんは、ゾウ使いの言葉を日本語に通訳するために、貨物機でゾウと来日し、
    プロとともに3週間住み込みで滞在した。
    Oさんたちを驚かそうと、彼の同行は内緒にしました。
    抱き合って喜んでました。ははは。してやったり。

    子ゾウ時代は、朝、園内を散歩させていました。
    サルの鳴き声とか、鳥の鳴き声にたまげて、ゾウが園内を走り回ったそうです。
    決して外には逃げ出せないようになっていますが、ヤットさんから聞いた時には爆笑。
    追いつかないほどのダッシュだったそうで、総出で探しまくったと。
    園内を歩くとそれを思い出します。それ、見たかった。

    訪問したうちの衆も喜んでました。仲間と一緒に心から喜べるっていいですね。

    あの仕事は、職歴20年で2番目に難しい仕事でしたので。

    タイに深くかかわり「ソムオー」(果実のザボンの意)というニックネームが付いた

    ソムオーさんは、この夏ファミリーでタイに行ったのに続き、

    上野にもファミリーで。 みんなはアティに鼻で水をかけられ。

    ソムオーさんは全身に幸運の大粒シャワー。

    青年ゾウの「やんちゃぶり」を久しぶりに垣間見ました。

    振り返ると、アティ・ウタイが来日した3日前、上野のメナムが亡くなりました。
    妊娠が発表される少し前、井の頭の「はな子」が亡くなり、
    同じくオイスカタイ事務局長の見原アイサさんも亡くなったのです。
    そして、上野訪問の翌日、在位70年、「国父」として国民から深く尊敬されている
    フミポン国王が逝去されました。なにかを感じざるを得ません。
    上野訪問にあたり、タイ大使館にもご挨拶に行きました。
    一日遅かったら、ご挨拶どころではなかったと思います。
    来年は日タイ外交関係樹立130周年。
    来年7月頃の無事の誕生を、上野動物園の皆さんや、「ゾウは国の宝」と考える
    タイの皆さんとともに願いたいと思います。

    cf.東上野の「京城苑」の焼肉、いつも以上に美味しかったです。

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