中部日本研修センターの森田です。 今日は土地と水の話です。
一般的にサバ州の村人は、土地を広く持っています。
昔は自分で開拓すれば、自分の土地になるというシステムがあり、 それで獲得したものです。
妻の両親は、子どもが8人いて、 40ha以上の土地を持っていると聞いています。 この大きな面積が子どもたちに分割されていきますので 世代を追うごとに面積が狭くなっていくことが予想されます。
妻は1~2haしかありませんが。 現在、この40haの中で、ゴムとオイルパームがほぼ半部ずつの面積だそうです。
支援をしているティウロン村(通称 オイスカ村。13軒あります)の村人は、 サバ州農村開発公社(KPD)から、一家族6haを無償で譲り受けています。 オイスカ村の名前は、住民がオイスカ研修センターの卒業生だけだからです。この村は、元々KPDの入植プロジェクトでした。
オイスカの卒業生70人程度を中心に1971年からスタートして、 タバコ⇒パッションフルーツ(果物)⇒キャッサバ(イモ類 澱粉源作物)
と作物を変えてきました。数十haの面積を耕作していました。
病気の発生や作物価格の安さといった理由から残念ながら成功はしませんでした。
最後に、残った13の家族に土地(6ha)を分配してKPDは1997年に撤退。村は今でも水の確保に苦心しています。
水浴びは近くの比較的綺麗な川で行っています。飲料水が足りなくなると、町まで大きなタンク(800ℓ程度)を2トントラックに載せて買いに行っています。(1トン9円程度?)
サバ州の村では水の確保について、
1 山の湧き水を貯めて小さなダムを作り、パイプで水を引くという方法(一般的)
2 屋根からの水をタンク(800ℓ程度)に溜める方法(一般的)
3 自動販売機(電気が引かれている村 1リットル3.5円程度)
4 公共上水道(沸かして飲料水とする) があります。最近、この事業が急速に進んでいます。
ティウロン村とシンブアン村(妻の村)では、村の入り口まで水のパイプが来ていました。 ここ数年で、各家庭までパイプが引かれると思います。 両方の村は、ここ1~2年で電気が引かれました。
電話線は来ていませんが、携帯電話があれば必要がないようです。 今は、日本からダイレクトで村に携帯電話が繋がります。 日本と同じように多くの人がスマートフォンを持ち、歩きながら会話をしている姿が見られます。