海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
フィリピン北部アブラ州で見た水害の村が、ずっと印象に残っています。
6月2日、名取出張合間の休日。福島市水林自然林「水害防備保安林※」を見に行きました。
名前の通りの「荒川」治山治水事業は、活火山の麓の扇状地において行われ、
土木学会の土木遺産や、登録有形文化財ともなっています。
信じがたいほど無数の災害の歴史から福島市を守ってきました。
荒川資料館では、ガイドをしている女性の國原さんが声をかけてくださり、
「生き字引の加藤さんが来てくれる」ということで、ゆっくりお話を伺うことができました。
開口一番、「流し木をして、暴れる前に逃げるのが大事。水が引いたら戻ればいい」
(「流し木」とは、いざ洪水目前に生木を選んで伐って流れを止める技術)
「僕が知ってる約100年の話だけど・・・」「堤防に生えてきた木は必ず伐る」
「福島市には竹林の水害防備林も残っているよ」などと貴重なお話が山のよう。
話は数字、法律、労務管理、技術に溢れ、おにぎりとコーヒーをご馳走になり、
あっという間の1時間半。ネットや資料に書いてない話ばかり。耳学問は大事ですね。
さて、この日訪れた水害防備保安林。これは堤防の相棒のようなもので、
ここでは「霞堤(信玄堤)」とセットになっています。
昔は、合流する阿武隈川の河口、つまり、名取の隣の岩沼市の方まで、
霞堤が延々連なっていたそうです。もちろん、途方もない労力で手作り。
水林では、植えたというより、実生で生えたアカマツを活かしたそうです。
洪水は堤防外側を破壊し、法面下をえぐるものですが、村側堤防法面の外に植え付けると、
根で破堤を抑え、あふれた水流を弱め、流木土石を食い止めるなどの効果があります。
霞堤と水防林は、江戸時代に全国に広がりました。
扇状地ゆえ、洪水のたびに流れが大きく振れるので、霞堤と水防林群を設け、
あまりの急流ゆえ、近現代に入り、砂防堰堤群や床固工群もセットとなりました。
上記の治水事業が行われた荒川は「急流河川」。
雄大な流れのアブラ川には、砂防堰堤の大工事の必要はありません。
ですが、アブラ州の村では、堤防がない箇所でも長年人が住んでいます。
洪水が何度起きても、堤防は完全には作られません。
行政の予算も、村の能力も限界があります。
あの村は台風などの突風にも毎年悩まされます。
こういうケースで、低コスト、自助努力で自衛するにはどうすればいいか。
私は、川沿いの水防林と、集落を囲み、家々を囲む屋敷林のセットで自衛するのが
良いのではないかと考えています。根張りを計算し、洪水の流路上流側には
小規模土堤を設けて、その上に高木と低木をセットで植付をするなど。
宮城から東京に向かう新幹線の車窓にも、参考になる集落・家々があります。
それらを見るにつれ、日本には昔からのECO-DRRの知恵があると思うようになりました。
オイスカアブラと村々との、長年のコミュニケーション・信頼関係は抜群。
約30年前からの「子供の森」計画による、行政・村々とのネットワークも十分。
災害の百貨店のような村々は、聞く耳を持ってくれる気がします。
※ 河川の洪水時における氾濫にあたって、主として樹幹による水制作用及びろ過作用並びに樹根による侵食防止作用によって水害の防止・軽減をはかる(林野庁HP)