前日訪れた宮城県から、一関市を抜けて陸前高田市へ。山間の村は、地震があったことを忘れてしまうほど、のどかな景色が続いていました。と、(特活)ピースウィンズジャパンの佐藤氏にコンビニに寄ることを勧められます。「ここから先はお店もないし、トイレも簡単には見つからないですよ」とのこと。しばらく進むと、佐藤氏の言葉通り、山を下るごとに風景がどんどん変わっていきます。田畑に何かの破片が見えるなと思っていると、その数は増え、みるみるうちに山となって田畑を覆っていきました。家も崩れ、流されています。海はまだ見えないのになぜ…? と疑問に思っていると、川があることに気が付きました。海から川をつたい上ってきた波でさえ、これほどまでに強い力を持っていたのかと驚かされます。
しかしその後、市の中心部に降り立った私たちの目の前に現れたのは、その驚きを上回る風景でした。本当に街があったのだろうかと疑いたくなるような状況です。いまだ引ききらない水、かろうじて骨組みだけを残した建物、物で覆われ寸断された道、根こそぎ倒れた大木…市役所や学校など街の中心機能まで流されてしまった陸前高田市の現状は、地震から1ヵ月以上経った今でも、津波の恐怖や被害の甚大さを十分すぎるほど物語っていました。それを目の当たりにした私たちは、降りしきる雨も相まって気分まで冷え込んでいく想いでした。
しかし、災害対策本部やプレハブの仮設庁舎が並ぶ市役所を訪問し、教育員会や社会福祉協議会の方にお話を聞いた後、避難所や保育園を訪問した私たちを待っていたのは、心をほんわり温かくしてくれる出会いと、とても大事な「気づき」でした。
【米崎小学校】
同市で3番目に大きい避難所になっている米崎小学校。ここでは、自主的に自治委員会が結成されており、副会長の方にお話を聞くことができました。「学校が再開することによって、合併する避難所もある。やっとできた人間関係が変わることが不安なんだ。仮設住宅も造ってくれているけど、老人が入ったって、一人じゃ遠くまで買い物にも行けないし…移動販売とかあるとありがたいんだけどね」とご自身の苦労や心配を話ながらも、「つみ木かぁ。いいねぇ。米崎保育園が再開しているから行ってみるといいよ」と私たちの相談にのってくれた副会長さん。大変な避難所生活の中でコミュニティを作り、温かい場所作りに気を配ってきたことがよく伝わってきました。つみ木はお年寄りにも馴染みがあるもの。もし避難所で「森のつみ木広場」を行うことができるなら、つみ木遊びを通して世代間や合併した避難所のコミュニティ同士の交流に使ってもらえないかな、と思いました。
(報告:本部啓発普及部 石原真弓)