「津波が来たんだから、もう何が来ても驚かないわ!!ハハハ」
これは宮城県気仙沼市にある保育園の副園長先生が、突然訪問して恐縮している私たちにかけてくれた最初の言葉です。先生の気丈で明るい振る舞いに、「怪しいものではございません」と神妙な面持ちで名刺を差し出している自分が、なんだか恥ずかしくなるくらいでした。数日前に保育園再開のめどがたち、避難所から戻ってきたばかりだそう。
「つみ木を使ったワークショップをしています。何かお手伝いできませんか?」というと、「わぁ~ つみ木、いいわね」との返事。たまたま園庭の隅で、先生が泥だらけになったつみ木を一つひとつ丁寧に洗っているところだったので、皆さまよりいただいた支援金で作ったつみ木約800ピースを「お邪魔じゃなければ置いていきますよ」とお声かけしたところ、喜んで受けてくださいました。さっそくその場でつみ木遊びがスタート。
「また来てね~」「今度はつみ木、い~っぱい持って来るよ」。子どもたちの笑顔に、自分たちのやるべきことが見えた気がしました。
私たちが今回、最初に入った被災地がこの宮城県気仙沼市。標識が気仙沼に入ったことを示しても、津波の被害を受けていない山間部は穏やかな田園風景が広がっており、はじめは被災地域にいる実感がありませんでした。街中に入ると、津波が駆け抜けたすさまじい爪痕がまだまだ残っているものの、重機が忙しく作業をしており、いくらか復興の兆しも感じることができます。
しかしそれもつかの間、高台から海に抜ける坂道から視界が開けた瞬間、様子は一変。街は影も形もなく、かろうじて残ったコンクリートの基礎が、かつてここに家があったことを教えてくれました。そこに立った時、スタッフの口から出た言葉は「津波の被害を受ける前の街並みを知らないだけ、私たちはまだ冷静でいられるんですよね…」
一瞬にしてふるさとの街を失った地元の方々の喪失感は、測り知れません。ここに自分の「ふるさと」を重ね合わせた時、胸が潰れる思いがしました。現実とは思えない「現実」を前に、一体、自分に何ができるのか…。ただただ自分の小ささを思い知らされるばかりでした。
アテンドしてくださった(特活)ピースウィンズ・ジャパンの佐藤さんのお話では、市役所などの中心機関が津波の影響を受けなかった気仙沼市は、比較的復興も進んできており、この1ヵ月でがれきも半分ほどになったとのこと。山積みになったがれきを見て、「『ついつい拾ってきてしまうのよ』と、避難所で自宅から持ち帰ってきたお茶碗を洗っている人もいるんです。その姿を見ると、これらを簡単にがれきと言えなくなるんです」という佐藤さんの言葉に、主観的な目線でしか現場を見ることができなかった自分に気付かされました。
気仙沼では災害対策本部、大小の避難所、教育委員会、小中学校、保育園など8ヵ所を回らせていただき、学校の再開を目前に避難所の様子やニーズも日々変化していること、つみ木のワークショップに子どもだけでなく老人も参加できないかという声が多いことなど、いろいろなことを知ることができました。
「桜が咲いたらこの避難所の人たちで花見がやりたいんだよ。でも酒を出して、収集がつかなくなったら怒られるだろ?」と少しうれしそうに語る公民館の館長さんの悩み。「ご飯食べていきなさいよ。心配しないでいいのよ、まだあるんだから」と、こんな状況でも自分のことより私たちのお腹の心配をしてくれる避難所のおかあさんの優しさ。「子どもたちを修学旅行にどうにかして連れていってやりたいんです。学生時代の楽しい思い出だから…」という中学校の校長先生の切なる願い。「明日のことだけ考えるの。振り返ったって辛いだけだからね!!」というおばちゃんの言葉。私たちができることはとても小さなことかもしれないけれど、現場で受け取ったたくさんの想いや声を胸に、自分たちだからこそできることを一生懸命しようと感じた一日でした。
「また来てね~」「今度はつみ木、い~っぱい持って来るよ」
その約束、絶対守るからね!!
(報告:本部啓発普及部 長野純子)