2015年2月5日

フィリピン・ネグロス養蚕普及プロジェクト 比国からタイへと広がる日本の技術 蚕種指導員をネグロスから派遣

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    J.T.Silkの社員に技術指導をするジンジ(左)

    2014年10月、フィリピンのネグロス島にあるバゴ研修センター(以下、センター)から養蚕の技術員がタイに派遣されました。派遣先は、繭から洗顔せっけんや化粧品を製造しているJ.T.Silkが同国チェンマイ市郊外に新設した蚕業施設です。蚕種製造や養蚕全般の技術を支援してもらいたいとの要請に応え、センターの推薦を受けた蚕種製造担当のバラン・ジンジが11月末までの2ヵ月間タイで指導に当たりました。

    J.T.Silkの社員に技術指導をするジンジ(左)
    J.T.Silkの社員に技術指導をするジンジ(左)

    ネグロス島における養蚕普及プロジェクトは1989年にスタート、山間地の農民を対象に養蚕の技術指導と普及に着手し農家の収入確保を目指してきました。その背景には、80年代の砂糖の国際価格の暴落により、それまでサトウキビ栽培に依存してきた同島が“飢餓の島”と呼ばれるほど住民が生活苦を強いられる状況に陥っていたことが挙げられます。

    現地スタッフの指導やプロジェクト全体の技術向上にご協力いただいている専門家の宮澤津多登氏の「養蚕の基本は蚕種」とのアドバイスの下、94年からはセンターでも蚕種製造ができるよう世界各地から蚕種を集め、同地の気候や環境に適合する品種づくりに努めてきました。10年以上の歳月を経て2006年、蚕種製造の技術が確立され、センターでは機織りまで一貫した体制が築かれました。このたびタイから受けた技術員派遣の要請は、プロジェクトの実績がフィリピン国内はもとより海外にまで知れ渡っていることを物語っています。

    ジンジをはじめ、100名以上を対象に技術指導に当たってきた宮澤氏は「蚕種製造は、系統保存をしながら交雑種をつくってテストを繰り返し、その中からハイブリッドをつくっていく難しい技術。これまで技術体制の確立を目指して指導してきたが、国外への指導ができるところまで人材が育っていることは、プロジェクトの大きな成果」と教え子が成長し活躍する姿に喜びをかみしめていました。同時に、将来を見据え、「養蚕業がネグロスの地場産業として根付くまであと一歩のところにきている。これまでオイスカ主導で進めてきた部分を早期に現地移管し、それらをオイスカがバックアップする体制を整えていかなければならない」と語りました。

    日本の養蚕業は戦後、基幹産業として経済を支えてきましたが、現在は後継者不足などの問題を抱え、斜陽化の一途をたどっています。そのような中、専門家の協力によりフィリピンに移転された日本の高い養蚕技術が、四半世紀を経て新たに第三国への支援に発展していることの意義は大きく、オイスカはその役割を担う人材の育成を今後も継続していきます。

    言葉の壁がある中、社員らと宿舎に泊まり込みながら積極的にコミュニケーションをとるジンジ(右から2人目)。熱心な指導と穏やかな人柄で社員から慕われる“先生”となった
    言葉の壁がある中、社員らと宿舎に泊まり込みながら積極的にコミュニケーションをとるジンジ(右から2人目)。熱心な指導と穏やかな人柄で社員から慕われる“先生”となった
    施設内に育つ桑。その生育管理についてもアドバイス
    施設内に育つ桑。その生育管理についてもアドバイス
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