4月22日、前マレーシア首相のトゥン・アブドゥラ・ビン・ハジ・アフマッド・バダウィ(Tun Abdullah bin HajiAhmad Badawi)氏が夫人と随行員を伴って浜松市にある学校法人中野学園(オイスカ開発教育専門学校とオイスカ高校)を訪問しました。
前首相の名前にある〝トゥン〞は国王から授与される最高の勲位です。マレーシアは王国ではありませんが、13州のうち9州にスルタンと呼ばれる州王がおり、この9人のスルタンの互選により国王が選ばれ、一期5年間の任期で国家元首としての公務を担っています。国王も州王も政治にかかわることはなく、国民や州民の統合の象徴的存在となっています。
今回の来日はオイスカ・インターナショナルの中野良子総裁の招待によるもので、中野総裁と同氏との出会いは1977年に遡ります。この年の10月、オイスカ・インターナショナルが主催する第3回アジア太平洋地域開発青年フォーラムがマレーシアで開催され、8ヵ国から90名の青年代表が出席しました。この時、同氏は青年スポーツ省の事務次官補を務めており、同フォーラムの趣旨に賛同して側面から開催に協力してくださいました。これが縁で中野総裁と知己になり、オイスカの理念と活動に対する理解を得るようになりました。
そして同氏は、国会議員となったころより、オイスカを通して日本で技能研修を受けて帰国した同国の青年たちの活躍に注目し、日本の発展に至る経験がマレーシアの国づくりの生きた教訓になると考えるようになり、その思いを当時のマハティール首相に伝えたことが有名な〝ルック・イースト(東方に学ぶ)〞政策につながったと言われています。 2003年10 月、首相となった同氏は、国づくりには工業だけでなく、農業の振興が不可欠であるとして、農業重点政策を打ち出しました。そしてここでも、農業・林業・水産業の発展に重点を置くオイスカの活動に着目していたとのことです。
30余年も続いてきた中野総裁との交流は、09年4月に首相の座を後継者に譲った後も変わることなく続いています。同氏は、今回の招待で浜松市を訪れ、オイスカ工業研修生として浜松地区のオイスカ会員企業で技能実習を受けているマレーシアの研修生たちに〝檄〞を飛ばす一方で、中野学園の留学生を含む在校生たちを激励しました。また、21日の夜には夕食会が催され、多忙な中、浜松市の山崎副市長、御室浜松商工会議所会頭をはじめ、オイスカ静岡県支部の会員、研修生の受け入れ企業の関係者など多数が同氏の来日を歓迎しました。「浜松訪問は初めてだったが、来て本当に良かった。中野総裁やみなさんに感謝したい」という言葉を残して、23日にマレーシアに帰国しました。